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紹介します!!クラブチームの名物○○ ①DBグラッズ

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 日本野球連盟(JABA)に加盟するクラブチームは全国で250を超え、企業チームとともに社会人野球を支えています。

 このコーナーでは、チームを語る上で欠かせないユニークな存在を紹介します。選手、オーナー、サポーター、あるいは応援歌や移動用のバス――。チームの活動を支える、さまざまな「名物」にスポットライトを当てて行きます。

 「紹介します!! クラブチームの名物○○」第1回「DBグラッズ」の大ベテラン、沢田誠投手です。【構成=毎日新聞社野球委員会・安田光高】

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 8月に59歳となる投手は週に3、4日、自宅の庭に設置した防球ネットに向けて5060球投げ込みをしている。「毎日やろうと思うと続かない。やれるときにやろう。雨ならやめておこう。それぐらいの感覚でやれば続く。でも1週間投げなかったら、あかん、投げようとなる」と笑う。骨の髄まで野球人だ。

 京大時代はエースで4番。同学年の立命館大、古田敦也氏(元ヤクルト)の8本塁打を上回る10本塁打を放ち、当時の関西学生野球の最多本塁打記録を樹立した。スラッガーとしてプロ注目と話題となったが、ドラフトでは指名されず、大阪ガスに入社。だが、思うような結果が残せず、4年間で引退となった。「鳴り物入りで入ってなんとかせなという焦りがあった。頑張っているところを首脳陣に見せるための練習をしていた」と振り返る。焦燥感や義務感に駆られ、野球を純粋に楽しめていなかった。京大の監督を4年務めた後、大学時代の同級生から誘われて2004年に現役復帰した。その理由は選手として不完全燃焼にある。

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「打者としてはドラフトや社会人でダメという烙印を押された。でも待てよと。投手としては誰からも烙印を押されていない。可能性がどこまであるのか知りたかった」

現役復帰から20年。還暦も見えてくる年齢になった。「あちこち痛いのは事実。この2、3年は腰痛で毎朝、勢いつけないと起き上がれない」と言いつつも、投げる球自体はここ10年間、変わっていないという。昨年は公式戦で1試合の先発を含む5試合に登板。最近の試合は「若い選手にチャンスを与えている」として出番が少ないが、「初回から肩を作っている。そのまま九回まで作り続けていることが多い」と笑う。社業では管理職を務め多忙だが、それでも自主練習を続けている。

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「1イニングを抑えただけでヨッシャー。点を取られたらチクショー。勝った負けたで楽しめる。普段の生活では味わえない」。だからやめられないのだ。

 思い描く今後の人生のプランもある。「社会人の最年長記録は分からないが、60代で先発完投したい。それができたら70代で。夢は都市対抗の補強で呼ばれ、1イニング投げること。近畿の第5代表のチームが話題作りで入れてくれないかな。65歳の節目に始球式もやらせてもらいたい。夢はいろいろある」。大阪ガス時代にはできなかった東京ドームのグラウンドに立つことを夢見る58歳の右腕。きょうも防球ネットをめがけて白球を投げている。