平日の朝8時半過ぎ。大田スタジアムに着くと、東京モノレールの流通センター駅方向から、バットケースを背負う姿が。

「おはようございます!」

　JPアセット証券の犬飼康太郎主将だった。この日は、『グランドスラム』恒例の顔写真撮影と練習取材である。JPアセット証券は自社グラウンドを持たないため、江戸川区球場や駒沢球場、そして、この大田スタジアムなどの抽選に小まめに申し込む。グラウンドが確保できたら、その時間に個々で集合し、限られた時間を目一杯練習に使う。犬飼主将も通勤時間帯のさなか、地下鉄とモノレールを乗り継いでやって来た。

　グラウンドが確保できるのは、多くて週3回。1回のこともあれば、抽選に漏れてグラウンドでの練習ができない週もある。その場合は、伝手のある室内練習場を使うが、特に雨天の場合など、常に空いているとは限らない。高校野球が地方大会の時期には使える球場が限られるため、なかなか抽選に当たらず、全体練習ができない日も珍しくないし、そんな事情だから週末は、グラウンドを持つチームがオープン戦を組んでくれると有り難い。

グラウンドの使用日や時間は限られているため、集中して練習に取り組む選手たち。【写真＝真崎貴夫】

　選手は全員、証券マンだ。入社すると『証券外務員一種』の資格取得が義務づけられ、練習後、あるいは練習前には、顧客への対応や新規開拓のために電話をかけ、あるいは飛び込み営業の外回りに出る。無論、練習中でもメッセージが入るから、その対応も欠かせない。犬飼は言う。

「私は運よく、大口のお客様に巡り会ったことがありますが、飛び込み営業が上手くいくのは、100打数1安打にも満たないくらいです」

　この犬飼は、昨年の都市対抗でセガサミーに補強された。完備されたグラウンドと室内練習場。寮や食事の素晴らしさ。羨ましくないと言ったら嘘だが、「自分たちの実力では、あの環境に届かなかったということ。それなら、与えられた環境で力を発揮するしかありません」と言う。そう、例えば高校野球で志望する強豪校に入れなかったら、進んだ公立高校でひと泡吹かせる気概を持てばいい。

　野球部は、2008年に設立したJPアセット証券が、2019年に創部した。一説によると、野球経験のある創業者の野球への恩返し、あるいは若い人材募集の一手法と言われる。野球人が持つ強固な人脈は、業務上でも大きなメリットになる、という側面もあるかもしれない。ともあれ、証券会社の企業チーム登録は現在、日本で唯一である。

　2020年に公式戦に出場すると、その年、2021年と都市対抗東京二次予選に進んだ。そして、昨年は東京都春季企業大会でJR東日本に2対0という大金星。さすがに、強豪ひしめく東京地区からの東京ドーム出場はならなかったが、グレードの高い伊勢･松阪大会にも初出場し、日本製鉄東海REX、日本生命からも白星。限られた練習環境でも、強豪といい勝負をするまでに力を伸ばしてきた。グラウンドで臆することなく力を発揮するのは、全員が営業の修羅場を経験していることと無関係ではないだろう。

　昨季のJR東日本戦で、6回を無失点と好投した左腕エース･門間滉介に、打線では広島に4年間在籍した永井敦士、度会隆輝（ENEOS）の実兄である基輝、犬飼ら。今季は、西武などでプレーし、環太平洋大のコーチ、監督として全国レベルに引き上げた安藤信二監督が就任。日産自動車のエースとして、都市対抗の経験も豊富な石田祐介コーチがサポート役に就く。

　安藤監督は言う。

今季からチームを率いる安藤信二監督。【写真＝真崎貴夫】

「社会人野球は初めてで、東京の予選は厳しいと聞きます。ですが、相手もプロではなく同じ社会人。上手くやればチャンスはありますよ。ただし、うちにミスがないという前提で、相手がひとつ、ふたつミスをしてくれればね」

　自称「戦う証券マン」たちが、今シーズン旋風を起こすか。この日、午後1時までの練習を終えた犬飼たちは、「これから、6時半まで仕事です」と職場のある日本橋に急いだ。

【文＝楊 順行】

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