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【GAME004】1995年第66回都市対抗大阪・和歌山二次予選第一代表決定戦/日本生命×大阪ガス
1995年の日本生命は、名門の威容を取り戻そうと一丸となって戦っていた。それは、1992年に2回目の黒獅子旗を手にしたあと、2年続けて都市対抗一回戦で敗退していたからだ。そのためには大阪・和歌山二次予選で代表権を勝ち取らなければならないが、名門ゆえの悩みも抱えていた。
アトランタ五輪を翌年に控え、この年は出場権をかけたアジア地区予選が9月に予定されていたため、日本代表は3、5、7、8月に強化合宿、6月にはキューバを招いて強化試合を実施した。日本生命でも、エースの杉浦正則をはじめ、新人投手の小塩 貫や四番打者の仁志敏久が招集されていた。シーズンの開幕から投打の軸がチームを離れてしまう中で、都市対抗で頂点に立てるチーム力を醸成するのは至難の業だ。それでも、早瀬万豊監督(現・関西大監督)をはじめ、選手たちも必死に戦っていた。
すると、9チームが3つの代表権を目指した予選でも、初戦(二回戦)でNTT関西(現・NTT西日本)を13対3の7回コールドで下し、中山製鋼との準決勝でも1点を追う8回裏に一挙5点を挙げ、中山製鋼の反撃を2点に抑えて8対6で逃げ切る。そうして第一代表決定戦まで勝ち上がり、大阪ガスと対戦する。
日本生命の先発は、新人右腕の小塩。同志社大学時代から日本代表に招集され、この春に日本生命へ入社すると、3月の東京スポニチ大会では新人賞を手にしていた。予選でもNTT関西を相手に先発して勝利に貢献し、第一代表決定戦の先発に抜擢されていた。
1997年まで、都市対抗大阪・和歌山二次予選の会場だった日生球場(左)。
1995年の第一代表決定戦は、5回表まで終えて13対2と大阪ガスが日本生命を大きくリードしていたが……。
しかし、1回表から大阪ガス打線につかまって4点を献上すると、一時は立ち直ったかに見えたものの、4回表に再び集中攻撃を浴び、7失点でマウンドを譲る。試合も、4回を終えて大阪ガスが12対2と大量リードを奪う。代表決定戦にコールドゲームはなかったが、5回表に大阪ガスが1点を追加すると、さすがの日本生命もベンチには敗色ムードが漂う。
負けていてもエースを注ぎ込んだ指揮官の勝負勘
ところが、勝負は思わぬ方向へ転んでいく。5回裏の日本生命の攻撃も簡単に二死を取られたが、敵失から川村祥一が2ラン本塁打を放つと、さらに打線がつながって6点を返す。ただ、これで気持ちを引き締めた大阪ガスは、6回表にも一死二、三塁のチャンスを築く。すると、日本生命の早瀬監督は杉浦にリリーフ登板を命じる。
「追い上げたとはいえ、まだ8対13と5点のビハインドです。ブルペンで投球練習はしていましたが、どちらかと言えば翌日の第二代表決定戦への準備だった。そこでリリーフに指名され、直後は気持ちを整理できなかったのが正直なところでした」
そもそも、杉浦はこの予選で先発をしていない。エースである以上、自分がどんなコンディションであれ、都市対抗予選だけはチームの勝利に貢献できる準備をしてきた自負があるだけに、新人の小塩や1年下の土井善和を先発させる早瀬監督の起用法に、不満はなくともある種のモヤモヤ感は抱いていた。それでも、しっかりとリリーフを務めて第一代表決定戦を迎えたのだ。先発でないことは納得できても、5点もリードされた展開で、14点目を防ぐために登板するとは……。杉浦が、穏やかな気持ちでなかったことだけは確かだろう。
だが、いざマウンドに立てば、全力で相手打者に立ち向かうのが杉浦だ。このピンチを無失点で切り抜けると、その裏には金谷康成の2点タイムリーなどで4点を挙げ、12対13の1点差に。さらに、7回表も杉浦が無失点で帰ってくると、その裏には四番の仁志が同点弾を叩き込む。
「もう、この時点では『絶対に勝つんだ。1点も許さない』と、気持ちとボールが一致する状態で投げていました」
8回表も無失点の杉浦の熱投に応えるように、その裏二死二塁から、この試合でヒットのなかった三番・梶田茂生(現・日本生命監督)がライト前に弾き返し、とうとう14対13と大逆転に成功する。9回表も杉浦は渾身の投球を見せ、日本生命は6年連続38回目の都市対抗出場を第一代表で決める。
6回途中から杉浦正則(中央)が無失点救援し、日本生命は11点差を大逆転する。
「強いチームは、監督と選手の思いが常に一致していると言いますよね。それは確かなんですが、現役生活の中では、何度かその思いが一致しないことがある(笑)。この試合の私もそうだったわけですが、早瀬監督は5点リードされていても勝負どころだと感じ、私を起用したわけです。ならば、個人的な思いよりも、その監督の期待には応えなければいけない。あとになって考えると、私は監督から信頼され、それに応えられたことが勝利につながっているのです。早瀬監督の勝負勘もそうですが、大事なことを学んだ一戦として今でも覚えているんです」
果たして、楽勝ムードから一転、1点差で敗れた大阪ガスは、住友金属との第二代表決定戦を5対6で落とすと、デュプロとの第三代表決定戦も9対6から11点を奪われ、予選敗退となってしまう。勝負は本当にゲームセットまでわからないのだ。