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【GAME012】1998年第69回都市対抗野球大会一回戦/NTT北陸×昭和コンクリート

 都市対抗の歴史には、いくつもの“因縁の対決”がある。そのひとつ、東西の名門・日本石油(現・ENEOS)と日本生命は、1977年の第48回大会から3年続けて一回戦で対戦。まだ黒獅子旗を手にしたことはなかった日本生命は、優勝5回の日本石油に3連勝している。同一地区や企業の一回戦での対戦は避けるなど、いくつかの条件があるとはいえ、同じ相手と3年連続で対戦する確率は限りなく低く、当時も球史に残る因縁の対決と言われた。

 だが、歴史は繰り返すのだ。1996年の第67回大会から、金沢市・NTT北陸と岐阜市・昭和コンクリートは3年続けて一回戦で激突した。1996年の初対戦は、初出場だった昭和コンクリートが10対1でNTT北陸に圧勝。翌1997年は、NTT北陸が12対4で昭和コンクリートを一蹴している。そして、1998年の第69回大会の組み合わせ抽選会で3年連続での対戦が決まった時は、両チームの関係者とも苦笑していたが、「1勝1敗だから今回で決着させる」と口を揃える。

 大会初日の第2試合、昭和コンクリートの先攻でプレイボール。NTT北陸の先発は、北陸銀行から補強したサブマリンの竹島彰伸、対する昭和コンクリートは、この年は5チームに13名が加入したキューバからの助っ人ホルヘ・バルデスを先発に立てる。

 バルデスは、1980年から1993年キューバ代表入りし、キューバ勢が社会人に派遣されるようになった1994年はニコニコドー、1995年は阿部企業でプレー。1996年からは昭和コンクリートの戦力強化に尽力するなど、社会人野球も熟知した左腕だ。ただ、37歳のベテランであり、この試合では調子の悪さをテクニックでカバーしているような投球。1回裏にNTT北陸に2点を先制されると、中盤にも祖泉秀樹と川崎博孝に一発を浴び、6回までに7点を与えてしまう。

 一方の竹島は、代表枠1で敗者復活戦のない北信越二次予選において、1994年には北陸銀行を13年ぶりの本大会出場に導き、1995年も2年連続の代表権獲得に貢献した。その後は予選で敗れているものの、3年続けてNTT北陸に補強され、東京ドーム特有の雰囲気もマウンドも十分に把握している。前年にエースの正津英志(現・中日スカウト)がドラフト3位で中日へ入団したNTT北陸としては、竹島の経験と安定感を信じて先発を任せたと言っていい。その期待に応え、6回まで1失点の好投でしっかりとゲームメイクする。

 

3年連続同一カードは7回に同点となり……

 

 しかし、時は空中戦が当たり前の金属バット時代。6回を終えて7対1は、NTT北陸にとってセーフティ・リードではないのだ。7回表も、竹島はテンポよく二死を取る。だが、昭和コンクリートの岡崎純一監督(現・岐阜聖徳学園大コーチ)が22歳の阪本一成(元・西濃運輸監督)を代打に送ると、阪本はチャンスをものにしようと左前安打を放ち、そこから満塁となる。そして、押し出し四球と敵失で2点を返し、さらに青山正克、代打の森川伸二、そして、大西淳史の3連続タイムリーで、あっという間に7対7の同点に追いついてしまう。NTT北陸の北川 良監督(現・金沢星稜大監督)は平川明人に投手を交代し、平川が三振を奪って何とか逆転は免れる。

 そして、こうした展開は振り出しに戻ると膠着する。NTT北陸は三番手の桜井久之、昭和コンクリートは6回途中からリリーフした加納 功(三菱重工名古屋から補強)が慎重な投球で勝ち越し点を与えない。

 

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左は、7回表に同点打を放った大西淳史(昭和コンクリート)。右は、9回裏二死満塁で

サヨナラ安打をレフト線に弾き返したNTT北陸の田中秀樹(NTT信越から補強)。

 

 それでも、NTT北陸は9回裏に祖泉や石川知之の安打などで二死満塁に。そして、この試合では無安打だった田中秀樹(NTT信越から補強)が、狙い澄ましたようにレフト線へ弾き返し、三塁走者を迎え入れてサヨナラ勝ちを決めた。スコアは、第32代アメリカ合衆国大統領のフランクリン・ルーズヴェルトが「一番面白いゲームスコア」と手紙に書いたことから、「ルーズヴェルト・ゲーム」と呼ばれるようになった8対7。ただ、試合後の北川監督は試合をもつれさせてしまった投手交代の遅れを、岡崎監督はつかみかけた流れを手放した采配を省みて厳しい表情だった。

 

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3年連続の一回戦対決にサヨナラ勝ちし、歓喜の輪を作るNTT北陸の選手たち。

 

 翌1999年、NTTは会社の再編に伴い、全国に11ある野球部を東日本と西日本の2チームに統合すると発表。NTT北陸は、西日本へ転籍しなかった選手で1年限定の活動を決め、見事に北信越二次予選で4年連続の代表権を得る。昭和コンクリートも東海二次予選を4年連続で勝ち抜き、組み合わせ抽選会では注目されたが、残念ながら4年連続となる一回戦での対戦は実現しなかった。