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【GAME022】1996年第23回社会人野球日本選手権大会決勝/住友金属×西濃運輸
第47回社会人野球日本選手権大会は11月9日に決勝が行なわれ、トヨタ自動車が4大会ぶり6回目の優勝を果たした。そうして47回の歴史が重ねられたが、周知の通り最多優勝は住友金属の7回である。その7回目のダイヤモンド旗は、1996年の第23回大会だった。
アトランタ五輪が開催され、社会人を中心に編成された野球日本代表が銀メダルを獲得。プロ野球ではオリックスがイチローを擁してパ・リーグ連覇を達成し、前年の阪神・淡路大震災に見舞われた人々に勇気を与えていた。そのオリックスが巨人との日本シリーズを控えていた10月10日、オリックスの本拠地でもあるグリーンスタジアム神戸(現・ほっともっとフィールド神戸)で大会は幕を開ける。
速球派右腕・入来祐作(現・オリックスコーチ)の活躍で、この年の都市対抗で初優勝した本田技研(現・Honda)は、二回戦で大阪ガスに敗れる。また、準優勝だった三菱重工広島も、一回戦で西濃運輸に苦杯を喫する。その西濃運輸は、左腕の藤田宗一(元・千葉ロッテ)がリリーフで奮投。日本石油(現・ENEOS)、日本新薬、川崎製鉄千葉(現・JFE東日本)を1点差で振り切り、初めて決勝まで駒を進める。
その決勝で待ち受けていたのが住友金属だ。1951年に大阪市で結成された住友金属野球団は、1965年に本拠地を和歌山市に移すと都市対抗で準優勝。翌1966年の都市対抗でも準優勝して強豪の仲間入りを果たし、1974年に日本選手権が創設されると1977年の第4回大会で初優勝する。さらに、山中正竹監督(現・全日本野球協会会長)が率いた1982年に都市対抗で初優勝、1983、84年には日本選手権連覇の偉業も成し遂げる。
住友金属のV7に貢献したエースの金城龍彦(現・巨人コーチ)と主砲の宮内 洋(元・横浜)。
1993年の日本選手権で6回目の優勝に輝いたチームも、この年の都市対抗は大阪・和歌山二次予選の敗者復活三回戦で敗退。その悔しさを原動力に、日本選手権近畿二次予選を首尾よく突破すると、初戦(二回戦)は室蘭シャークス(現・日本製鉄室蘭シャークス)を8対7で下し、NTT北陸との準々決勝は金城龍彦(現・巨人コーチ)が延長11回を完投。2対1でサヨナラ勝ちを収め、準決勝では四番・宮内 洋(元・横浜)の一発などで6対5と東芝に打ち勝つ。
前半は打撃戦も後半は緊迫の投手戦に
住友金属が20歳の金城、西濃運輸は22歳の福田忠史と、若きエースが先発マウンドに登る。1回表に住友金属が宮内のタイムリーで1点を先制すると、その裏の西濃運輸も小森 茂が同点二塁打と、四番の打ち合いで幕を開けた試合は、3回表の住友金属が山田晃之3ラン本塁打などで4点をリードする。しかし、西濃運輸もその裏に連打で4点を返し、金城も福田もこの回の途中でマウンドを降りる。
続く4回表にも、住友金属は西濃運輸の二番手・安部雅信に長短4安打を浴びせて2点を奪う。西濃運輸はすかさず反撃したかったが、住友金属の二番手に起用された石井大士がストレートとフォークボールのコンビネーションでそれを許さない。西濃運輸は4回途中から近藤庄太、8回からは藤田と左腕を注ぎ込んで住友金属の勢いを止めたが、石井が4回以降の西濃運輸を1安打に抑え込み、二塁も踏ませない好投で7対5と逃げ切る。
表彰式後にグラウンドを一周する住友金属チーム。
この年から指揮を執る筒井大助(現・崇護)監督(現・日本野球連盟副会長)は、「初戦で室蘭シャークスの選手たちの直向きな姿に接したのが大きかった」と実感を込めて語った。新日本製鐵が、1994年限りで室蘭、堺、光の野球部を活動休止としたため、室蘭は主将だった加藤 徹(現・日本代表コーチ)を中心にクラブチームとして室蘭シャークスを立ち上げた。そして、この年は北海道二次予選を勝ち抜き、一回戦ではシダックスに1対0で勝利を挙げていた。その選手たちのプレーに刺激を受けた住友金属の選手も、社会人野球の原点である全力プレーで一気に頂点まで駆け上がったのだ。
住友金属は、翌1997年も金城を軸に決勝まで勝ち上がったものの、三菱重工神戸(現・三菱重工West)に敗れて初めて準優勝に終わり、1999年のシーズンで活動を休止する。日本選手権で7回の優勝は素晴らしい実績だからこそ、その先の歩みもぜひ見たかった。
ちなみに、グリーンスタジアム神戸での大会もこの年が最後。翌1997年2月に完成する大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)が、第24回大会からの舞台となる。