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【GAME023】2000年第27回社会人野球日本選手権大会二回戦/NTT西日本×プリンスホテル

 1979年は野球界が大いに沸いた。プリンスホテル野球部が、入社が内定している東京六大学や東都のスター選手の記者会見を行なって華々しく船出する。どちらかと言えば保守的で、プロとも一線を画していた社会人野球において、新規参入チームが大学球界トップクラスの選手を集めたことは注目を浴びる。ほどなく、低迷を続けていたプロ野球のクラウンライター・ライオンズを西武が買収し、本拠地を福岡から埼玉県の所沢に移す。西武グループが野球界に進出したのだ。

 プリンスホテルは、創部直後の都市対抗は東京二次予選の第三代表決定戦で敗れた。だが、熊谷組に補強された中尾孝義が白獅子旗に貢献して久慈賞を手にするなど、1期生は実力の高さを示し、2年目の1980年には都市対抗に初出場。石毛宏典は、日本で初開催された世界選手権に出場する日本代表に選出される。そして、この年のドラフト会議では、中尾が中日から、石毛は西武から1位指名されて入団する。驚いたのは、阪急が1位指名した松商学園高の川村一明投手、日本ハムが1位指名した秋田商高の高山郁夫投手、巨人が4位指名した中京高(現・中京大中京高)の瀬戸山満年捕手が入団を拒否し、揃ってプリンスホテルへ入社ことだ。のちに川村も高山も西武へ入団したことで、プリンスホテルは西武の育成チームとも囁かれる。

 そうして、社会人球界に衝撃を与えたチームは順調に力をつけ、1983年からは都市対抗に連続出場。1989年には黒獅子旗を手中に収め、瀬戸山が橋戸賞に輝く。そして、創部から10年間で14名をプロに輩出したこともあり、1990年代になっても宮本慎也(元・東京ヤクルト)ら高い実力を備えた選手たちが入社してくる。

 1992年の都市対抗で準優勝し、復活を印象づけた熊谷組が翌1993年限りで活動を休止。東京はプリンスホテルの天下になるかと思われたが、新鋭のシダックスが台頭すると、負けじと朝日生命も力をつける。さらに、古豪の東京ガスや鷺宮製作所も逆襲し、プリンスホテルはその波に呑まれていく。

 1994年の都市対抗東京二次予選は準決勝で東芝府中に0対1と敗れ、敗者復活二回戦もNTT東京(現・NTT東日本)に4対5。12年ぶりに予選敗退を喫すると、監督は石山建一から足立 修にバトンタッチされる。しかし、翌1995年も代表決定戦に進めないまま姿を消す。1996年は3年ぶりの東京ドーム行きを決めるも、一回戦で神戸製鋼に0対13の7回コールド負け。そうして、1998年から再び予選敗退が続くと、経済不況によるリストラの一環として、その年限りで活動を休止することが2000年4月に発表される。

 

時代の波に吞み込まれたエリート軍団

 

「まさかプリンスホテルが」

 社会人球界には衝撃が走る。当事者の選手たちは大きなショックを自分たちの戦いぶりで吹き飛ばそうとしたが、都市対抗東京二次予選は敗者復活二回戦の壁に跳ね返される。それでも、日本選手権関東二次予選では何とか本田技研(元・Honda)と三菱自動車川崎を下し、大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)への切符を手にする。

 最大でも残り5試合という舞台に立った選手たちは、主将の松岡 淳(現・城西大コーチ)を中心に気持ちを込めたプレーを見せる。一回戦では荒木準也(現・日大山形高監督)の3ラン本塁打などで11点を奪い、投げては伊達昌司(元・巨人=現・都雪谷高監督)から大沼幸二(元・横浜DeNA)へのリレーで無失点。最後の勇姿を目に焼きつけようと、多くのファンが足を運んだスタンドからは大きな拍手が送られる。

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ドラフト候補の長崎伸一(上)はドラフト3位で千葉ロッテに指名され、

主砲の荒木準也(下)はのちに母校・日大山形高で監督に就任した。

 

 続く二回戦は、10月19日の第2試合。対戦相手のNTT西日本は、前年にチームの統合・再編を行なって強大な戦力だ。先発の伊達は1回表に連打で無死一、三塁とされ、中犠飛で1点を先制される。3、4回にも1点ずつを追加されると、4回途中から大沼を投入。必死に流れを引き寄せようとしたものの、打線はNTT西日本の先発・山本英斗を打ち崩すことができない。7回裏には荒木がソロ本塁打を放ったが、大沼も2点を失い、8回を終わって1対5。次第に敗色は濃くなっていくものの、ベンチから仲間を鼓舞する声が途切れることはない。

 9回表のマウンドには、三番手で長崎伸一(元・千葉ロッテ)が登る。天理高から入社して3年目の右腕は、3月の東京スポニチ大会で2勝を挙げるなど期待に応える成長を見せ、日本代表にも選出されてドラフト候補と目されていた。だが、都市対抗予選では本調子を欠き、なかなか登板機会が巡ってこなかった。それでも、最後になるかもしれないマウンドでしっかりと力を出し切り、9回裏の攻撃に望みをつなぐ。

 すると、9回裏には四番の蔵田 修(現・福山大監督)と荒木が連打でチャンスを築き、大森 篤の犠飛で1点、田中成明の二塁打でもう1点を返す。しかし、NTT西日本も継投でこのピンチを凌ぎ、5対3で逃げ切る。

 

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最後の公式戦となった日本選手権二回戦でも、選手たちは全力で戦い、スタンドからは大きな拍手が送られた。

 

 人目を憚らずに涙を流す者、悔しさをかみ殺すように俯いてタオルで顔を覆うもの。そんな選手たちを背に、足立監督は言った。

「精神的にキツかったこともあると思うが、みんながひとつになって一生懸命に戦えた。選手たちには『ありがとう』と伝えました」

 こうして、野球部は22年間の活動にピリオドを打った。だが、1期生の小山正彦は現在、プリンスホテルワールドワイドで代表取締役社長を務め、同じく1期生の居郷 肇は2011年から西武ライオンズの球団社長。2022年1月にバトンを渡した奥村 剛社長は、最後の試合でセカンドを守った。選手たちが汗をかいたグラウンドは2004年に拓大一高に売却されてしまったが、多くのOBが社会で活躍を続けている。