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【GAME024】2002年第29回社会人野球日本選手権大会一回戦/三菱自動車岡崎×神戸製鋼

 1990年代前半のバブル崩壊による景気後退は、日本のスポーツ界を支えてきた企業スポーツにも多くの影響を及ぼした。大会スポンサーの撤退に、自社スポーツ部の活動縮小が顕著になる中で、1993年に発表された熊谷組や大昭和製紙といった名門の活動休止は、社会人野球界にも衝撃を与えた。それでも、複数のスポーツ部を所有する企業では野球部の活動は継続させるケースが少なくなく、「人気競技ゆえに野球は恵まれている」と他の競技関係者やファン言われることもあった。そんな中で、野球以上に企業のシンボルとなっているスポーツ部が存続し、野球部が活動を休止した企業もある。そのひとつが神戸製鋼だ。

 40~50代のスポーツ・ファンは、「神鋼(しんこう)」とも呼ばれた神戸製鋼ラグビー部の強さをはっきりと覚えているだろう。1988年から全国社会人大会と日本選手権を7連覇し、新日本製鐵釜石に代わって日本のラグビー界を牽引するようになる。このラグビー部は1928年創部と歴史は古いものの、関西社会人の1部リーグに昇格したのは1976年であり、初優勝は1983年だった。だが、この頃から大学の有力選手を集め、外国人選手も積極的に採用してチーム力を高め、ラグビー界のトップに登り詰める。

 一方、野球部は1951年に創部すると、1954年には神戸市代表として都市対抗に初出場する。この時は一回戦で敗れたが、その相手が富士製鉄釜石(のちの新日鐵釜石)だったというのも面白い。ただ、その後は、三菱重工神戸(現・三菱重工West)、川崎重工業、川崎製鉄神戸、小西酒造など強豪揃いの地区を勝ち抜くことができず、1970年に本格的なチーム強化に着手する。そして、ようやく23年ぶリに2回目の出場を果たした1977年に、一気の快進撃で黒獅子旗を手中に収める。そう、野球部の全国制覇はラグビー部より早かったのだ。

 ほどなくラグビー部が躍進すると、野球部は1987年に本拠地を神戸市から加古川市に移転。グラウンドやクラブハウスも新設し、1992年の都市対抗ではベスト8へ進出する。さらに、1999年の日本選手権ではベスト4、翌2000年もベスト8と頂点を見据えていたが、2001年9月に翌年限りでの活動休止が決まってしまう。

 

全国の頂点を見据えていた時期に無情の活動休止

 

 ラストシーズンとなった2002年は、岡山大会が準々決勝、京都大会は二回戦と上位へ進出することができず、都市対抗兵庫二次予選も代表決定戦で惜敗。近畿代表決定戦にまわるも、NTT西日本、日本アイ・ビー・エム野洲に連敗して東京ドーム行きはならなかった。いよいよ負ければ終わりとなる日本選手権近畿二次予選も、一回戦で大阪ガスに敗れたが、ここから選手たちは底力を発揮。敗者復活戦で3連勝し、大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)への切符はつかむ。

 一回戦は、前年の都市対抗で準優勝している三菱自動車岡崎との対戦だ。先発マウンドには、主将も務めるベテラン左腕の野村昌裕が登り、捕手はルーキーの前田大輔。神戸製鋼が2回裏に1点を先制すると、直後の3回表に三菱自動車岡崎が2点を奪って逆転する。だが、その裏に長短3安打を集めて4対2とリードした神戸製鋼は、中盤も野村が要所を抑えてリードを守る。

 

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三菱自動車岡崎と熱戦を繰り広げるも、惜しくも敗れてラストイヤーは終わった。

捕手はルーキーの前田大輔。

 

 だが、7回表に三菱自動車岡崎が一気の反撃に転じる。北村宏大からの3連打で1点差に迫ると、林川大希の左前安打で4対4の同点に。野村は何とかピンチを断ち切ろうとしたが、ここで痛い失策が出て逆転を許してしまう。その裏から神戸製鋼も必死の攻撃を見せたが、三菱自動車岡崎は巧みな継投で1点を守り切り、5対4で勝利を挙げる。

「ミスが絡んだ失点は痛かった。負ければ最後という試合で、どうしても硬さがあったのだろう。そんな中でも、選手たちは積極性を忘れずにプレーし、野村もよく投げてくれた」

 

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相手を上回る安打を放ったものの1点差で敗れ、グラウンドを去る神戸製鋼の選手たち。

 

 1999年に就任し、チーム強化に腐心してきた鈴木英之監督(現・関西国際大監督)は、絞り出すようにそう言った。選手たちが名残惜しそうに大阪ドームのダグアウトを後にする様子を見ていると、何ともやるせない気持ちになった。前田は休部チームの特例措置により、オリックスからドラフト4位指名されて入団。ほかにも多くの選手が他チームへ転籍した。この年は若手が力をつけ、OBの和田一浩が西武でリーグ優勝に貢献するなど明るい話題もあっただけに、近い将来に復帰を望む声は絶えなかった。ラグビー部と同様に、野球部も多くのファンから愛されるチームだったが、2013年には解散届が提出され、神戸製鋼野球部は歴史の幕を下ろした。