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「令和初」の快音再び 日本製鉄かずさマジック新人・下山昂大内野手 社会人野球NOW vol.22

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 「令和初」の記録で甲子園を沸かせて5年。日本製鉄かずさマジックの新人、下山昂大内野手(22)が再び大舞台での飛躍を誓い、汗を流している。

 4月のJABA日立市長杯。公式戦で初めて先発起用された日立製作所戦、「社会人初タイムリー」となる適時二塁打を放った。「ずっと打てていなかったので、思い切りの良さがなくなってしまっていた。たまたま、かもしれないが、ほっとした」と笑う。

=八戸学院光星で甲子園「令和初」の安打、本塁打、打点となる満塁本塁打を放つ下山昂大選手

甲子園満塁弾は元号変わって最初の安打、本塁打、打点に

 青森・八戸学院光星3年だった2019年夏。元号が「平成」から「令和」に変わり、初めて迎えた甲子園での全国高校野球選手権に出場した。開幕カードとなった1回戦の誉(愛知)戦。「6番・三塁」で先発し、一回2死満塁から左中間に満塁本塁打をたたき込んだ。3四死球で作った好機での一発は、甲子園に刻む令和の初安打、初本塁打、初打点となった。第22回大会(1936年)以来となる83年ぶりの開幕戦での満塁弾でもあり、「今の高校生は知らないと思うけど、いい思いをさせてもらいました」とはにかむ。

 弘前市出身で5歳年上の兄の影響で小学1年から野球を始め、中学は硬式の「弘前白神シニア」に進んだ。その先に目指したのは八戸学院光星。甲子園常連の強豪校には青森県外からも多くの選手が集まる。それでも中学生の時から「高校では地元の選手と技術面で差を広げたい」という思いがあり、挑戦する道を選んだ。

 入学当初は「ちょっとなじめなくて、最初は帰りたいなと思っていた」。それでも、寮で隣の部屋だった武岡龍世選手(ヤクルト)ら同級生と徐々に距離を縮め、グラウンドでも力を発揮し始めた。2年夏から3年春、夏と3季連続で甲子園でプレー。3年夏はベスト8まで勝ち進んだ。「とにかく練習しないと試合に出られないので高校時代は、たくさん練習する体力がついた。環境に慣れ、ちょっとずつ野球に集中できるようになってきてから打てるようになった。いろいろな人とのつながりができ、光星に行ってよかった」と振り返る。

 中央学院大時代には2年で明治神宮大会初優勝に貢献する活躍を見せ、3年になると「侍ジャパン」大学代表候補の強化合宿にも呼ばれた。後にプロに進んだ選手らから刺激を受け、昨秋、大学4年でプロ志望届を提出した。しかし、新人選手選択(ドラフト)会議では名前を呼ばれなかった。その時、「悔しい」と湧き上がった感情が日々の鍛錬へと向かわせる。

 自らの武器は「しっかりバットを振れる」バッティング。「社会人の投手は球の質、変化球の精度が高く、曲がる系だけではなく落ちる球もコントロールがしっかりしている。やはり『気持ち』だけではどうにもならないところもあるので、自分のバッティングをもう一度、見つめ直し、技術を高められるように練習に取り組んでいる」。充実した日々が表情に表れている。

=新天地での抱負を語る日本製鉄かずさマジックの下山昂大選手

「スーツ姿でご飯」新たな日常にも慣れ、大舞台へ再び

 グラウンド以外でも、充実した社会人生活を送る。新人4人のうち3人は投手で、野手は下山選手だけだ。最初にキャッチボールの相手になってくれた2学年上の鯨井祥敬内野手と一緒に寮でゲームをしたり、クレープを食べに行ったりするなど、先輩からかわいがられる。勤務先では上司らによる歓迎会にも参加した。大学時代にはなかった「スーツでご飯を食べる」日常にも慣れ、「話を聞いていると、いろいろな人から応援してもらっているんだなと感じる」。夏のボーナスが出たら、家族と祖母に欲しいものを聞いて「ちょっとでも恩返し」にとプレゼントを贈るつもりだ。

 これまで、大舞台では数々の結果を残してきた。試合前にスパイクとグラブを磨き、道ばたでゴミを見つけたら拾う。高校時代にもやっていた「願掛け」は今も続いている。「そういう(大事な)場面になったら、たまたま打てることが多い。自分は『引きが強いな、自分は持ってるな』って思うことはある。でも、運頼みじゃなくて、しっかり力をつけて結果を出せるようにしたい」と下山選手。「自分の強みは、そのプレッシャーがまだわからないこと。先輩たちの勢いにそのまま乗っかっていこうと思う」。まもなく迎える南関東2次予選にまっさらな気持ちで挑む。【毎日新聞社野球委員会・中村有花】