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「ミスターアマ野球」杉浦正則さん アドバイザーで登板 社会人野球NOW vol.23

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投手としてオリンピック(五輪)3大会に出場し、「ミスターアマ野球」の異名を持つ杉浦正則さん(56)が社会人日本代表のアドバイザーに就任しました。5月の日本野球連盟(JABA)アスリート委員会で承認されました。川口朋保監督(52)率いる日本代表の強化をサポートします。選手とどう向き合っていくのか、抱負を聞きました。【聞き手 毎日新聞社野球委員会・藤野智成】

=社会人日本代表の強化に向けて熱っぽく語る杉浦正則さん

社会人日本代表の強化をサポート

――就任された今の心境はいかがですか。

 ◆杉浦さん 日本代表に携われるのはうれしいです。何を求められているのかを考えなければいけないなと思います。全権は監督にあり、チームの方新を決めるのは監督やコーチです。監督やコーチのサポート役として、自らの経験、特に国際試合を戦う心構えを伝えていくのが役割かなと思います。その伝え方も大事かと思います。少し距離を置いた立場から、選手に選択肢を示し、それを選択するかどうかは選手に任せる。そんな接し方がいいのかなと考えています。

  ――国際試合は普段の試合と全く違うものですか。

 ◆何が起きるか分からないのが国際試合です。球場に向かうバスが遅れたり、午後の予定の試合が突如、午前に繰り上げになったり、いろんな経験をしました。試合でも、ストライクゾーンがボール1個分、広かったり、狭かったり。予期せぬ状況になった時、どう対処すればいいのか、心構えや対策など、自らの経験に基づいた選択肢を提示できればいいと思います。

  ――代表チームは普段、別々のチームに所属する、いわば寄せ集めのチームです。チーム作りも難しくなるのではないでしょうか。

 ◆はじめは選手同士が遠慮がちになります。特に初めて招集された選手は中に入っていきづらいと思います。どうやって打開するのか、キャプテンという存在はすごく大きくなってくるんじゃないかと思います。

  ――2000年シドニー五輪は、初めてプロ選手も加わったチームで臨まれました。杉浦さんはチームの主将を務められました。それこそ一体感を生み出すのは苦労されたのではないでしょうか。

◆アマチュアの若い選手にとってプロのスター選手に話しかけるのは難しかったと思います。だからミーティング後に少しお酒も交わしながら会話して、心を通わせました。そういう中で、おそろいのガッツポーズをするアイデアなども生まれました。「俺に任せとけ」「すまん、頼んだ」というような心のつながりが一発勝負では重要となります。全員が調子いいわけではないので、調子悪い選手をカバーして勝ちに結びつけていかなくてはいけません。

 

=アトランタ五輪で登板する杉浦正則さん

「選択肢提示」で考える集団に

――話が少し戻りますが、先ほど、杉浦さんの役回りとして「選手に選択肢を示し、それを選択するかどうかは選手に任せる」とおっしゃいました。指導するのではなく、選択肢を示す、と。

 ◆子どもたちに教える場でも感じていますが、言われたことを丁寧に、真面目にする選手が多いと思う半面、指示を待つ受け身の姿勢を感じます。だから私は選択肢を提示するまでで、それを選択するかどうかは選手に任せる。自分の意志で選択すれば、自分で責任を負うしかない。どれだけ強いチームでも、自分たちで動けないチームって、コロッと負けてしまうんです。

  ――指導者としてのそのスタンスは0609年、日本生命で監督をされている時からですか?

 ◆当時は全く言葉の引き出しを持っていませんでした。失敗を重ねる中で選手から教えられたり、いろんな指導者の方々に教わったりしながら、言葉を増やしていきました。日本生命の監督を辞める時に、選手たちに無記名で私の監督時代を振り返って、思うところを書いてもらいました。それを読むと、自分の言葉できっちりと丁寧に選手それぞれに説明しないと思いはうまく伝わらない、ということを痛感しました。ここまで言えば、分かるだろう、との思い込みで、間違って伝わることもあると思いました。

 加えて、監督時代を振り返ると、選手に「チャレンジしろ、チャレンジしろ」と繰り返しながら、自分はどうかと言えば、なんとしても都市対抗の予選を勝ち抜かなければいけない中、新戦力でなく、使いやすいベテランを使ってしまっていました。勝たなくてはいけないとなった時の監督としての器の小ささゆえです。監督自身がチャレンジしていないのに、選手にチャレンジしろ、と言っても説得力がない。選手は監督をよく見ていますので。私がチャレンジしていれば、選手もチャレンジできたんじゃないかと思います。

  ――深い話ですね。

 ◆監督の器が選手の動き回れるスペースだと考えると、監督の器が小さいと、選手は動き回れず、ぎゅうぎゅう詰めになり、満員電車状態になり、いずれ周囲に身を任せて、自ら考えなくなります。もう、いいやって。でも監督の器が大きい、つまり許容範囲が広いと、選手が考えて動くスペースが生まれます。監督としてもっと自らを磨いて器を大きくするべきだった。監督を終えてみてすごく感じたことです。

  ――1518年には社会人日本代表の投手コーチも務められました。指導者としてそれ以降も学びを続けてこられたのではないでしょうか。

 ◆いろんなスポーツを見ながら、これを野球に置き換えたらどうだろうか、とは常に考えるようになりました。

  ――競技が違っても人の育て方や組織運営に通ずるところがあるということですね。

 ◆そうですね。ただ、マネをするのは、最初はいいですが、いずれ疲れます。マネをする中で自分なりのものを見つけていかなくてはなりません。言葉も一緒だと思います。高校野球の解説をさせてもらっていても、人の言葉を同じようにしゃべろうとしても、思うように舌が回らない。

  ――長年続けられているNHKの高校野球解説ですね。

 ◆アナウンサーからこの先の展開予想を聞かれて、間違ったことを言ってはだめと考えすぎると、言葉が出てこない。最近になってやっと自然体になってきたかなと思います。少し話し方が変わりましたね、と周りの人からも言われます。

  ――さて、社会人日本代表アドバイザーの話に戻ります。目標をどこに置きますか。

 ◆今の社会人日本代表の頂点となるとアジア競技大会ですね。26年に自国開催の愛知・名古屋アジア競技大会が控えています。そこでの金メダルが目標です。日本、韓国、台湾の3強の争いに中国も加わってきます。

  ――その先、28年ロサンゼルス五輪では野球が復活します。

 ◆東京五輪はプロ選手でチーム編成しましたが、今度はプロ、アマ混合とし、23歳以下、24歳以下の若い世代で編成してはどうか、というのが持論です。野球の世界最高峰の舞台としてワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が確立した今、五輪での野球にはまた違った意義づけがあってもいいかと思います。大学生からも社会人からも、プロの1軍からも2軍からも将来有望な若い力を集めてチーム編成する。野球界に新しい風が吹くのではないでしょうか。

 

 すぎうら・まさのり 1968年、和歌山県九度山町生まれ。和歌山県立橋本高から同志社大を経て1991年、日本生命入り。投手として92年バルセロナ五輪で銅メダル、96年アトランタ五輪で銀メダルを獲得、2000年シドニー五輪(4位)では主将を務めた。同年限りで現役引退し、日本生命で投手コーチ、監督を歴任。1518年に社会人日本代表の投手コーチを務めた。10年からNHKの高校野球解説を務めている。現在、日本生命ではサステナビリティ経営推進部調査役として、スポーツを通じた地域・社会貢献に取り組む。