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シリーズ監督論「教え、教えられ」 NTT東日本・平野宏さん 社会人野球NOW vol.26

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 社会人野球の指導者に聞くシリーズ監督論「教え、教えられ」。今回はNTT東日本の平野宏監督(46)です。監督就任3年目。昨年は都市対抗野球、日本選手権の2大大会出場を逃す辛酸をなめましたが、立て直して今年は4月のJABA静岡大会を制して日本選手権切符を獲得し、都市対抗も東京都2次予選で第1代表を勝ち取りました。都市対抗の開幕が7月19日に迫る中、チームのホームグラウンドがある千葉県船橋市を訪ねました。【聞き手 毎日新聞社野球委員会・藤野智成】

 =都市対抗出場を決め、胴上げされるNTT東日本の平野宏監督

「凡事徹底」で立て直し

 ――2年ぶりの都市対抗返り咲きです。どんな心境ですか。

 ◆平野監督 野球部に重きを置いていただいている会社ですので、出場できることは、正直ホッとしています。昨年は生きた心地がしないというか……。ただホッとはしていますが、目指しているのは、都市対抗の優勝であり、毎年優勝を狙えるようなチーム作りが使命だと考えています。

 ――振り返れば、昨年は何が足りなかったとお考えですか。

◆(平凡なことを徹底してやり抜くという意味の)「凡事徹底」という言葉がありますが、その面で、ちょっと甘さがあったのではないかと考えています。練習も私生活も凡事徹底が大事となりますが、まあこれぐらいならいいかと目をつぶっていたシーンも思い返してみるとありました。監督就任初年度の2022年度は、都市対抗ベスト4、日本選手権準優勝でした。これは前体制からの「貯金」であると私自身、認識していました。勝負は2年目(23年度)だと思っていました。ただ、上位に勝ち進むのが当たり前となり、入社して負けを知らない選手もいて、チームの間に「なんとなく勝てるんじゃないか」という雰囲気が出ていたと思います。チームに受け継がれてきた土台のようなものが揺らぎ、崩れる一歩手前まできていたという風に考えています。昨年、負けた時に選手にもそう伝えました。当たり前のところにも目をつぶらずに、もう1回磨きあげていこうと再出発しました。

 ――凡事徹底で、目の前の細かなところから立て直したということですね。

◆選手は勝負の厳しさを身をもって知ったことで、同じ言葉を投げかけても響き方が変わりました。戦う姿勢が変わり、選手の中で話し合ったり、選手自ら改善点を見いだしたりするようになってきたと思います。

 ――指導においては、選手とのコミュニケーションを大事にされている、と平野さんはチームのホームページに書かれています。ご自身の選手時代と今の選手では気質や文化が変化していると思いますが、どのような工夫をされていますか。

◆一方通行でなく、双方向のコミュニケーションを取りたいと思っています。我々の若い時は「はい、か、イエス」。どっちも「はい」ですね(笑)。言われたことには「はい」と答える。「右向け右」の文化でした。時代は移り、育った環境も歩みも違う中、今、自分の考えを押しつけるような指導をしても選手のモチベーションは下がるだけです。自分から多くを語る選手は少ないように思いますが、頭ごなしに話すのではなく、まずは言葉を聞く姿勢を心掛けています。心の中で考えていることを探り、言葉を引き出してあげることが大事だと考えています。同じユニホームを着て、同じ目標を追う仲間として、選手となるべく近い位置にいたいと考えています。

 

=選手育成に意欲を語るNTT東日本の平野宏監督

「1分間スピーチ」でつながり構築

 ――言葉を引き出してあげる、と。

◆野球って、感覚で語られることも多いスポーツですが、野球人として成長していくには、感覚だけではなく、しっかり言語化すること、自分の言葉で説明することが大事になります。理屈を知っていることで、スランプに陥った時も、足りないポイントを的確に把握し、修正の練習に入ることができる。そういった意味で、年明けから練習前の「1分間スピーチ」を取り入れています。選手が「今、どのような課題を持ち、どう取り組んでいるのか。その成果が出ているのか、どうか」をスピーチします。毎日1人、1カ月程度で一巡し、4周ほどしました。偉人の教えを引いたり、野球界の名言を取り入れたりしながら話すようになるなど成長しています。以前職場で朝のミーティングの司会役が短くスピーチするという習慣があったので、コーチとも相談して取り入れました。若い選手は学生時代、コロナ禍と重なり、接触を控えるよう呼びかけられていた時期が長くありました。人とのつながりが少なく、人前で話す経験も多くないように思います。的確に説明する力は社会人として必要な力だと考え、取り組んでいます。

――コロナ世代に欠けてしまいがちな、リアルのつながり、ですね。

◆みんな野球が好きだし、一生懸命にやるんですけど、今ひとつ他人の練習には興味がないというか、自分の実力を高める努力は懸命にするが、じゃあ他の選手は何に困っているのか、悩んでいるのか、には関心が薄い。寝食を共にし、親兄弟よりも長い時間を過ごしている仲間です。互いに仲間の悩みに目を向け、手を差し伸べていく、そんな野球人、人間になってほしい。1分間スピーチには、つながりを育んでいくためのきっかけ作りの狙いもあります。

 ――確かに情報網の発達で誰かと話さなくても、何でもスマートフォンで検索すれば、答えが提示される時代です。個々に検索する世代と言えそうです。

◆でもチーム作りの上で、もちろん個の力は重要ですが、チーム力がなくては打開できない局面を何度も経験してきました。個の力だけでなく、同時にチームとしての力を伸ばそうと選手には伝えています。

 ――そういう意味ではJABA静岡大会での優勝、都市対抗東京都2次予選の第1代表という成果に手応えを感じられているのではないでしょうか。

◆みんなよく頑張ってくれています。選手がチームの方針を理解し、(昨年の悔しさから)いい再スタートを切れていると思う部分もあります。ただ崩れ落ちる時はあっという間です。だからこそ、一日一日積み上げ続けていく必要があります。まだ山の中腹です。

 ――平野さんがこれまで影響を受けてきた指導者はどなたですか。

◆(三菱自動車川崎、後の三菱ふそう川崎の監督として都市対抗で3度優勝後、NTT東日本の監督を務めた)亡き垣野多鶴さんです。私がベテランの域に入った時、垣野監督がチームに来られました。日々の練習の時から試合以上の緊張感がありました。「練習でできないことは試合でできない」と、ランニングの時から厳しく指導が飛びました。当時のチームは都市対抗に出場するのが第一目標でしたが、垣野監督は都市対抗で優勝するために(本戦で)5回勝つことを見据えた戦術を落とし込まれました。1回戦で負けるのも、2回戦で負けるのも同じで、常に5回勝つための選手起用、作戦を立てます。2014年に垣野監督の後任に就かれた飯塚智広監督(48)が、垣野監督が築かれた土台を残しつつ、自らの色を出されて、17年に都市対抗優勝に導かれました。当時、私はヘッドコーチでした。「垣野監督がおっしゃっていたのはこういうことだったのか」。優勝して初めて、当時のいろんな言葉、教えの意味が実感できた気がしました。優勝することで初めて見えるものがあります。今のメンバーにも経験してほしいという思いは強くあります。

 ――改めてですが、社会人野球の魅力についてお話ください。

◆会社と一体となって戦っていることです。会社の応援を受けながら、会社を背負いながら戦う魅力を現役時代から感じていました。野球部には、社の一体感醸成や士気高揚という使命があります。精神的な側面だけでなく、社の収益にも貢献していきたいと考えており、部のOBを活用し、近隣の小中学生を対象にしたスクールの開催などにも取り組んでいきます。現在は学校部活動の地域移行の動きも進んでおり、北海道富良野市の中学生をオンラインで指導する試みなどにも取り組んできました。専門性を持った人材は多くいますので、選手のセカンドキャリアに道を開くことも念頭に、地域とのつながりを生み出すトリガーとなる活動に力を入れていきたいと考えています。

 

ひらの・ひろし 1978年、水戸市出身。水戸短大付高(現・水戸啓明高)で甲子園出場。国士舘大を経て2001年、NTT東日本入社。右腕の血行障害のため投手から野手に転向し、都市対抗は11年に準優勝。35歳で現役引退し、ヘッドコーチとして17年に都市対抗優勝。社業専念の期間を経て再びコーチに戻り、22年から監督。東京都内で妻、長男と3人暮らし。