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全日本クラブ選手権で旋風起こす エフコムBC 社会人野球NOW vol.39

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 今年の全日本クラブ野球選手権(8月31~9月3日、栃木県足利市・ジェットブラックフラワーズスタジアムほか)で、旋風を巻き起こしたのが準優勝のエフコムBC(福島)だ。2大会ぶり7回目の出場で、前身の富士通アイソテックベースボールクラブ時代のベスト4を超える過去最高成績を残した。頂点にあと一歩届かず悔し涙も流したが、決勝の舞台に立ったことで選手たちは「日本一」への思いをより一層強くした。

=決勝で五回裏の得点に喜ぶエフコムBCの選手たち

チーム過去最高の準優勝 日本一への思い、より強く

 異例のスケジュールをものともせず勝ち上がった。雨天のために2―0でリードの二回表終了でサスペンデッドゲーム(一時停止試合)になった1回戦。翌日、二回裏から再開すると、先発の右腕、渡邉拓海投手が前日と変わらぬ快投を見せ、七回コールド勝ちを収めた。

 2回戦で古豪・全府中野球倶楽部(東京)を9―3で破り、迎えた大会最終日。ダブルヘッダー1試合目の準決勝で、前年覇者のショウワコーポレーション(岡山)に3―2で競り勝った。終盤は毎回得点圏に走者を置く苦しい展開になったが、先発の渡邉投手、大内遼河投手、長根尚輝投手の3人のリレーで逃げ切った。約4時間後にプレーボールとなった決勝では、過去5回のクラブ選手権優勝経験を誇るマツゲン箕島硬式野球部(和歌山)の強打の前に屈したが、福島県勢としては1992年の郡山クラブ以来となる準優勝の成績を収めた。

 内野手も兼務する中島周作監督は「去年、福島県の予選で負けてしまったチームがここまで来られた。今年は予選も含め、点を取るところで取って最少失点に抑えることができ、チーム全体の底上げができたと感じる」と振り返った。

 東日本国際大から入団1年目の渡邉投手が投手陣の柱になった。192センチの長身から投げ下ろす速球と多彩な変化球を武器に先発した2試合で流れを作り、敢闘賞にも選出された。中島監督は「今年は大事な試合はほぼ任せているが、本当に堂々としたピッチングでチームを引っ張ってくれた」とたたえた。

 渡邉投手は同じく新人の伊藤琉晟選手、2年目でプロ野球・巨人にも在籍した伊藤海斗選手と同じ山形・酒田南高出身。「(大学卒業後も)野球はやりたいと思っていたが、クラブチームがどんなものか分かっていなかった」というが、同級生との縁もありエフコムBCでプレーを続けることを決めた。「最高に明るくて雰囲気のいいチーム。来て正解だった。(初めての全国大会でも)チームのみんなに支えてもらい、内野手全員が1球1球投げる度に声掛けしてくれて、すごく投げやすかった」と力を発揮できた理由を口にした。

 打線の軸になったのは、主将の八百板飛馬選手と、1歳下の弟でプロ野球・楽天、巨人でプレーした卓丸選手だ。卓丸選手は2番としてつなぎ役を担い、4番の飛馬選手は準決勝で先制2点本塁打を放つなど要所でチームに勢いをつけた。卓丸選手は「1試合ずつチーム力がどんどん上がっていることを実感した。準決勝でもショウワコーポレーションを相手にとてもいい試合ができた」と手応えを口にしつつ、「決勝で負けたのはやはり自分たちの足りない部分があったから。そこはしっかり反省して来年の糧にしたい」と前を向いた。

全日本クラブ選手権決勝のマツゲン箕島硬式野球部戦で、エフコムBCの選手たちに声援を送る応援団

熱心な応援がチームを後押し 「勝って泣く」経験を来年こそ

 エフコムBCは1957年に黒沢通信工業野球部として発足し、活動休止なども経験。2012年から富士通アイソテックベースボールクラブとして活動してきたが、2021年からは株式会社エフコムの支援を受け、「エフコムベースボールクラブ」として新たなスタートを切った。「野球で福島を元気に」をモットーとし地域貢献にも力を注ぐチームなだけあって、地元の応援も熱心。クラブ選手権にも大勢の人たちがユニホームなどを身につけて駆けつけた。「今日(3日)も午前中に仕事を終えてから福島から駆けつけたという方もたくさんいらっしゃった。そういう声援を選手たちが感じながらプレーできた」と卓丸選手は感謝した。

 決勝の舞台に立ったことで、チームは新たなフェーズに入った。中島監督は「この決勝を経験できたこと、決勝まで来たという経験は財産になる」と力を込める。福島・聖光学院高で甲子園に出場し、社会人のきらやか銀行(山形)で都市対抗野球大会に出場した中島監督だが、「日本一に挑戦する経験」は今回が初めてだったという。

 「(試合後に)みんなにも言ったのですが、去年から『日本一を目指そう』と言っていたし、日本一に挑戦できる戦力があったとは思うが、『日本一ってどういうレベルなのか』というのがイメージできなかった。一方でマツゲンさんは経験があり、『日本一になるってどういうことか』を知っていたチームだったのかなと思う。もしかしたら決勝ではその経験の差が出たのかもしれない」と話した上で、「決勝まで行って負けたチームは私たちしかいない。それに対して『リベンジして日本一になろう』というのは、僕らしか言えない言葉」と力を込めた。

 中島監督にとって、これまで「勝って泣いた」経験は2016年にきらやか銀行が初めて都市対抗出場を決めた試合だけ。「『勝って泣く』経験を選手たちにしてほしくて監督を引き受けた。今日は悔しくてちょっと涙が出てしまったが、来年はうれし涙に変えられるようにまた一から頑張ります」と中島監督。クラブ選手権優勝チームには日本選手権出場権が付与される。京セラドーム大阪で応援団とともにプレーする日を夢に見ながら、1年間、力を蓄える。【毎日新聞社野球委員会・中村有花】