JABA

JABA

メニュー

トピック TOPICS

シリーズ監督論「教え、教えられ」 SUBARU・小川信さん 社会人野球NOW vol.48

hp_banner_yoko__small.png

 日本選手権優勝2度、都市対抗準優勝2度を誇る1953年創部のSUBARUの新監督に小川信さん(41)が就任されました。冨村優希・前監督の後を継いでコーチから昇格し、今月からチームを指揮されています。社会人野球の指導者に聞くシリーズ監督論「教え、教えられ」。練習拠点としている群馬県の太田市運動公園野球場を訪ね、小川新監督に意気込みをうかがいました。【聞き手 毎日新聞社野球委員会・藤野智成】

 

=チーム作りについて抱負を語る小川信監督

「野球人である前に社会人」

 ――チームを託された今の心境を教えてください。

 ◆小川監督 監督打診の話に最初は驚きました。チーム内でコーチとしてガミガミと言うのが私の役目でしたが、どれだけ選手に響いているのかなという迷いも抱いている時でした。そんな時に「おまえしかいない」と言ってもらえて、そうであれば、野球は好きですし、力になれるなら精いっぱいやろうと覚悟を決めました。

  ――どんなチーム作りを目指しますか。

 ◆最初に選手に伝えたのが「野球人である前に社会人として自覚ある行動をしよう」ということです。うちのチームは風通しがよく明るいのが伝統ですが、半面、ゆるいところもあります。野球だけでなく私生活にもきっちり向き合わないと、そのゆるみは必ず野球にもつながってきます。そこはしっかりと見ていこうと思います。

  ――チームの強化ポイントを教えてください。

 ◆昨年、今年と投手力はある程度計算できていましたが、打てずに負けた試合が多かったと思います。打撃力向上は必須です。ただ、いい投手からそう簡単には点を取れませんので、機動力などチームプレーをしっかり磨いていきたいと思います。昨年、今年と都市対抗は2回戦敗退、日本選手権は本大会出場を逃しています。

 監督になって、全員と面談しましたが、「2回戦突破」「2大大会出場」を目標にあげる選手が多くいました。都市対抗と日本選手権に出場して(合わせて)4勝以上を、来年の最低ラインの目標にしようと選手とは話しました。そして徐々にステップアップし、3年以内には日本一になろう、と確認しました。

  ――選手全員と面談されたんですね。

 ◆チームにどのように貢献していくか、考えを聞きました。それぞれの目標を紙に書いてもらい、貼り出しました。年が明けたら、もう一度、思い起こすためにも、みんなの前で発表してもらおうと思っています。それぞれが考えを表現し、互いにどんな目標を持っているか関心、興味を持つことは大切です。

  

=2013年日本選手権の三菱重工神戸戦でタイムリーを放つ小川さん

吉田松陰の教えにも学び

 ――印象に残っている指導者はいらっしゃいますか。

 ◆チームを2014年の都市対抗準優勝に導かれた水久保国一さんは尊敬する指導者です。選手として指導を受けていましたが、いいところはすごく褒めてくれると同時に、悪いところはしっかりしかってくれました。選手をよく見てくれていたと印象に残っています。13年の日本選手権で準優勝し、14年の都市対抗でも決勝に進んだ時に、ミーティングで「おまえら、日本で2番目に高い山を知っているか。知らないだろ。だから1番にならなきゃだめなんだよ」とおっしゃいました。結果的に決勝で大垣市・西濃運輸に敗れましたが、心に残っている言葉です。

  ――指導者としてのあり方、書物などにもヒントを求められていますか。

◆監督就任が決まり、6年上の兄(雄さん)から吉田松陰の「覚悟の磨き方」を読むように薦められました。リーダーが組織を動かす時に、全体を見渡す視点を持っておく必要性だとか、心構えが説かれています。兄は企業で役員をしていて、参考になる本を紹介してくれます。ただ紹介はしてくれても、くれません。自分のものとするためきっちり読み返すべき本は自分で買うべきだとの考えです。自分で買って勉強しています。

 

=2016年の日本選手権のJR東海戦でプレーする小川さん

個性に合わせたアプローチ

 ――17年に現役引退されてから、21年にコーチとしてチームに戻るまで、社業に専念されていました。その経験も指導者として生きているのではないでしょうか。

◆引退後、ディーラー(販売店)に出向しました。車販売の営業は初めてで、一回り年下の社員たちの中で、仕事を覚えました。1年目は、どう売っていいのかわからず、自信がなく、それが態度に出ていたんだと思います。結果が出ませんでした。2年目の時、新たに就かれた店長が「売れなくてもいいから、まず(お客さんのもとへ)行け」という感じだったんです。「しっかり踏み出せ」と。その方針が自分にも合って徐々に経験も増え、自信もつき、販売成績が上がって表彰されるようになりました。

営業にマニュアルはありますが、お客さんは十人十色でニーズ、こだわりはさまざまです。それを聞き出し、瞬時に提案しないといけないことを学びました。スピードも勝負ですが、押しすぎると引かれちゃう時もある。お客さんによってアプローチの仕方を変えないといけません。

これは、野球の指導者にも通ずることだと思います。個性の違う選手それぞれにあったアプローチが必要だと思います。「こうやりなさい」という一方的な言い方はせず、「こういう方法もあるんじゃないか」と選択肢を提示するように心掛けています。

 ――最後に社会人野球の魅力について聞かせてください。

 ◆学生野球、またプロ野球とも違った魅力があり、会社や地域の方がすごく応援してくださいます。新型コロナウイルスの感染拡大で、入場も応援も制限されていた時期がありましたが、以前の姿に戻った今、若い選手たちも、こんなに応援してもらっているんだ、と実感していると思います。チームとしても少年野球教室などを開催して、地域に根付いていこうと取り組みを続けています。

 

おがわ・しん 1983年生まれ、群馬県太田市育ち。佐野日大高で夏の甲子園に出場し、日大を経て2006年に富士重工業(現SUBARU)入社。14年に都市対抗準優勝に貢献し、二塁手で社会人ベストナインに選ばれた。17年秋に現役引退し、社業に専念。21年からチームに戻ってコーチを務めていた。太田市内で妻と、中1の長男、小2の長女と4人暮らし。長男は父譲りの俊足で、陸上競技に励んでいる。