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「競技者表彰」社会人野球出身で6年ぶり 元中日投手・岩瀬仁紀さんが野球殿堂入り 社会人野球NOW vol.58

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 日本野球の発展に大きく貢献した人たちの功績をたたえる「野球殿堂」の今年の顕彰者に、日本プロ野球史上最多の407セーブを挙げた岩瀬仁紀さんが選ばれた。岩瀬さんはNTT東海出身。元プロ野球選手が対象となる競技者表彰のうち、社会人野球出身者が野球殿堂に選ばれるのは2019年の権藤博さん(鳥栖高―ブリヂストンタイヤ―中日)以来、6年ぶりとなった。

=野球殿堂入り通知式でスピーチする岩瀬仁紀さん

大学リーグ記録に1安打及ばず NTT東海で投手専念

 野球殿堂博物館(東京都文京区)で1月16日に行われた通知式。岩瀬さんは「本当に大変光栄ですし、光栄な分、逆にすごく気持ちが引き締まる思いです」と背筋を伸ばした。

 愛知県出身。県立西尾東高時代には無安打無得点試合を達成するなど実績を残したが、甲子園とは無縁だった。愛知大に進学後は、主に外野手として活躍した。

 日本を代表する鉄腕へ、本格的な歩みを進める大きなきっかけとなったのが愛知大学リーグ戦の最終試合だった。打者として通算個人安打数はリーグ記録の125に迫っていたが、目の前の打者が併殺打に倒れた。そのため、もう1打席を回らず、1安打差の歴代2位で大学野球に終止符を打った。

 「野手として、プロをすごく意識しながら目指していたが、記録にあと1本届かず、打者として諦めようと思った」。ドラフトの指名もなく、「やっぱり投げたい」と投手としてNTT東海に入社することを決意した。

=NTT東海時代の岩瀬仁紀投手

中日入団、通算1002試合登板、通算407セーブの日本記録達成

 そうして投手に専念し、足を踏み入れた社会人野球の世界で才能が大きく開花した。日本代表候補にも選ばれ、社会人2年目の1998年の都市対抗には新日鉄名古屋の補強選手として都市対抗にも出場。99年に逆指名でのドラフト2位で中日に入団した。

 プロ入り後、岩瀬さんは左腕から繰り出すスライダーを武器に1年目からリリーフを任されてセ・リーグ最多の65試合に登板し、10勝(2敗1セーブ)を記録。その後も中継ぎや抑えとして活躍し、日本代表として2004年アテネ五輪、08年北京五輪にも出場した。07年の日本シリーズでは、中日が日本ハムを相手に3勝1敗とし、勝てば日本一が決まる一戦で、八回まで一人の走者も許さなかった先発・山井大介投手(現中日1軍投手コーチ)の後を受けてマウンドへ。完璧な投球を披露して、継投での「完全試合」でチームに日本一をもたらした。

=プロ野球セ・パ交流戦のソフトバンク戦でセーブの日本新記録を達成した岩瀬仁紀投手

通知式記者会見「社会人で厳しさ教わった」

 14年に左肘を痛め、15年は1軍で登板なしに終わったが、それでも諦めず、17年は通算登板数の新記録を樹立。カムバック賞も受賞し、18年に現役引退するまで、日本プロ野球最多記録の通算1002試合登板、通算407セーブをマークした。タイトルは最優秀中継ぎ投手を3度、最多セーブは5度獲得した。

 通知式での記者会見で、岩瀬さんは「社会人で初めて野球の練習の厳しさを教えていただいた。これだけをやらないとプロの世界にはいけないんだ、というぐらいの練習をした。そこでの練習の土台が、プロに入っても生きたと思います」と語った。殿堂入りを果たした今も、社会人野球への感謝も忘れてはいなかった。【毎日新聞野球委員会・中村有花】