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紹介します!!クラブチームの名物○○ ⑥三菱自動車京都ダイヤフェニックス

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日本野球連盟(JABA)に加盟するクラブチームは全国で250を超え、企業チームとともに社会人野球を支えています。

 このコーナーでは、チームを語る上で欠かせないユニークな存在を紹介します。選手、オーナー、サポーター、あるいは応援歌や移動用のバス――。チームの活動を支える、さまざまな「名物」にスポットライトを当てて行きます。

 「紹介します!!クラブチームの名物○○。第6回は京都市を拠点に活動する「三菱自動車京都ダイヤフェニックス」です。チームの名物はなんといっても、ユニホームの左胸に付けられた三菱のシンボルマークである「スリーダイヤ」。前身の企業チーム時代から受け継いだコーポレートマークに恥じない活躍をしようと、選手たちは地道な練習を重ね、今年の全日本クラブ野球選手権の本大会に初出場しました。【構成=毎日新聞社野球委員会・中山敦貴】

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=ベンチから大声を出して攻撃をもり立てる三菱自動車京都ダイヤフェニックスの選手たち

 9月初旬に新潟県で開催された、第47回全日本クラブ野球選手権。社会人野球クラブチーム日本一の栄冠を手にしようと、予選を勝ち抜いた強豪16チームが全国から集結した。その中に、企業チームの三菱自動車岡崎や三菱自動車倉敷オーシャンズと同じスリーダイヤを胸に付けた、ダイヤフェニックスの選手たちの姿があった。

 ダイヤフェニックスの前身の企業チーム・三菱自動車京都は1961年に創部し、都市対抗、日本選手権に各9回出場。95年の日本選手権では準優勝に輝いたが、本社の事業再編に伴い2002年、チームの歴史に幕を下ろした。だが、約5年のブランクを経て再びエンジンがかかった。OBらが名門復活を期し、「ダイヤフェニックス」として結成した。

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=第62回都市対抗野球大会の1回戦で力投する京都市・三菱自動車京都の伊藤智仁投手(1991年7月)

 これまでクラブ選手権優勝5回の大和高田クラブ(奈良)など強豪に阻まれ続けたが、岩崎武千法監督(60)は「スリーダイヤを胸に付けて戦うプライドを忘れるな」と選手に説き続けた。約30人いる選手のうち三菱自動車の社員は約半数で、残りは消防士や教員、他企業の社員など所属はさまざまだが、同じスリーダイヤのもとで一致団結。再出発から16年かけてようやく全国切符をつかんだ。

 迎えた初戦。スタンドには企業チーム時代の元選手や当時をよく知るファン、全国の三菱自動車社員が、「スリーダイヤ」がデザインされたうちわやタオルを持って応援に駆けつけた。結果は、相手の倍の12安打を放ちながら投打の歯車がかみ合わず、5―9で敗戦。岩崎監督は「会社にはぜいたく過ぎるほどの恵まれた練習環境を提供していただいている。結果で恩返しできず悔しい」と唇をかんだが、「ここからがスタートだ」と強調。木原巧貴主将(27)も「大きな一歩を踏み出せたことは間違いない。全国大会で1勝を挙げるという次の目標ができた」と力を込めた。

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=スリーダイヤがデザインされたうちわやタオルを持参し、三菱自動車京都ダイヤフェニックスに声援を送る人たち

 選手たちに刺激を与えているのは、やはり〝兄弟チーム〟の活躍だ。三菱自動車岡崎は今夏の都市対抗で8強に進出。三菱自動車倉敷オーシャンズは20年の都市対抗に16年ぶりの復活出場を果たした。三菱自動車の社員としてエンジンの組み立てなどに携わる木原巧貴主将は、「彼らと同じようなユニホームを着ている以上、恥ずかしいプレーはできない。いずれは企業チームと対等に戦えるチームを作っていく」と闘志を燃やす。この大会を糧に復活への歩みを加速させるつもりだ。

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=全日本クラブ野球選手権本大会の初戦で、ホームインして喜ぶ三菱自動車京都ダイヤフェニックスの選手