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シリーズ監督論「教え、教えられ」 日本代表・川口朋保さん 社会人野球NOW vol.21

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 指導者と選手の今時の関係性とは――。昔の常識が今の非常識となりうるのは、学校やビジネスの世界だけでなく、スポーツの世界も同じ。時代の波に洗われ、指導論、リーダーシップ論、組織論もアップデートされています。社会人野球の指導者に聞くシリーズ監督論「教え、教えられ」を始めます(随時掲載)。初回は、社会人日本代表監督の川口朋保さん(52)です。【聞き手 毎日新聞社野球委員会・藤野智成】

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明るく選手を導く社会人野球日本代表の川口朋保監督

「心理的安全性」を重視

――昨年10月に社会人日本代表監督に就任されました。三菱自動車岡崎の監督を退任された2009年以来14年ぶりの監督業です。若い世代と接する上で大事にしていることはありますか。

 ◆川口監督 選手、スタッフとはコミュニケーションをしっかり取るように心掛けています。心理的安全性ですね。年齢、性別問わず、誰もが同じベースで、何でも言い合える関係性が大事で、そういう空間を作るように努めています。

――三菱自動車岡崎の監督時代から、選手とはフラットな関係だったんですか。

 ◆いいえ、当時は選手からすれば、厳しい監督だったと思います。2005年に監督に就いた当時、会社の不祥事の影響もあって、部を存続できるかわからない状態でした。とにかくすぐに結果を出さなくてはいけなかった。強制的に練習させていた時期もあり、選手から「ここまでやるのか」と反発も受けました。

――就任から3年連続で都市対抗出場に導かれましたが、4年目の2008年に本大会出場を逃しました。

 ◆2008年に負けたことをきっかけにチーム作りを見直しました。3年連続で本大会に出場する中で、知らないうちに前例踏襲に染まっていたと思います。自立、自律できるチームでないと、限界があると思いました。私自身、課題を整理して、考え方、方針は提示しましたが、そこから先は選手が自分たちでしっかりと考えるチームを目指しました。そのために選手間のミーティングを増やしました。

――変化は見えましたか。

 ◆09年のチームは面白かったと思います。本当に勝ちに行こうという意識が根付いた感じはありました。粘り強さに表れ、土壇場で逆転する試合が増えました。自分で考え、意思を持った上で行動することで、いろいろと変わってくると思います。心が変われば、行動が変わります。やっぱり考えることって大事だと思います。

 ――これまで強く影響を受けた指導者は?

 ◆三菱自動車岡崎の選手時代に、監督として指導を受けた現在、慶応大野球部監督の堀井哲也さん。三菱自動車川崎、後の三菱ふそう川崎の監督として都市対抗で3度の優勝に導いた亡き垣野多鶴さん。私の前任の社会人日本代表監督の石井章夫さん、ら数多くいます。

 ――それぞれの方からどんなことを学ばれましたか。

 ◆堀井さんは本当に野球が好きな人です。野球が好きという意味では、右に出るものがいないんじゃないかと思うほどです。どういう風にすれば、勝てるのか、とことん探求する。研究者に近いような気がします。いくつになられても常にいろんな学びをされていて、技術的なことを吸収されています。

 ――垣野さんからはどんな教えを?

 ◆垣野さんは理論派でした。同じ三菱自動車の各地の野球部を回って指導されている時に教わりました。バッティングの構え、スイングの軌道などを追究されていました。教わることに当てはまる部分が多く、その教えを取り入れさせていただきました。垣野さんがバッティング講座の映像を作成された時のモデルとしても登場させていただきました。

 ――石井さんからの学びは何だったでしょう。

 ◆日本野球連盟(JABA)のアスリート委員会で社会人日本代表の強化に携わる中で、監督だった石井さんに体制作りを学びました。とても謙虚な方で、分からないことは専門家に聞く、という姿勢で、フィジカル、メディカル、心理学、それぞれの専門家をチームに招かれました。データを基に代表候補選手をリスト化して公表するなど代表選考プロセスの「見える化」など時代にあった仕組みも作られました。

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野球との向き合い方について熱っぽく語る社会人野球日本代表の川口朋保監督

野球人生を「デザインする」

――久々に監督の立場になって、川口さんから選手に求めることは何でしょう。

 ◆社会人まで野球を続けられるのは、本当に選ばれた選手たちです。いろんな縁があって、ここまで野球が続けられていることに自信を持ってほしいと思います。自分のことを大事にして、野球人生を豊かなものにしてほしいという思いは強く持っています。自らの野球人生をどう描くか、自分自身でデザインすることが大事だと思います。そして逆算し、今やるべきことを考えてほしいと思います。

――選手自身が考えるチーム、という先ほどの話とも通底しますが、人生をデザインする、というのは、川口さんの教えのキーワードなのかもしれませんね。自分で悩んで考えて失敗して、ということが大事だということでしょうか。

◆そうですね。失敗することもあれば、うまくいくこともある。その繰り返しなんだと思います。

――失敗するのが怖くて挑戦できない、1回の失敗でもう起き上がれない。最近はそんな傾向が指摘されることもあります。指導者にも「選手の失敗を見守る」度量が求められるということでしょうか。

◆そうですね。野球で失敗って何かなと考えた時に、試合中のエラーだったり、三振だったり、って、果たして失敗なんでしょうか。プレーしていれば、ミスをすることなんていっぱいあります。職場で働いていてもミスなんて当然あると思うんです。でもそれを次へと生かせるなら、別に失敗ではないと思うんです。ミスをして諦めてしまうことが、失敗だと思うんです。反省して次に生かすことができるなら、別に失敗じゃない。

 ――そう考えるようになるまでには、自ら失敗もありましたか。

◆選手時代のことです。チームが創部初めて出場した1998年の都市対抗は苦い思い出です。日立製作所との初戦は九回に逆転され、敗れました。その九回、途中出場で二塁の守備についていた私の送球ミスで併殺をとれずに同点とされ、その後、逆転されました。そのプレーに至るには原因があったと思います。先発出場でなく、途中出場だったことが面白くなく、モヤモヤしながらプレーしていたと思います。先発出場したくてもできない選手なんて、いくらでもいます。結果的に、試合に臨む心の準備を怠りました。今でも鮮明に覚えています。

 ――それが学びとなったのであれば、それも失敗でないと言えるのではないでしょうか。

◆チームにも、会社にも迷惑をかけましたが……。仕事でも何でもそうですが、やはり準備を怠らないことが大事だと思います。何かミスが出るということは、どこか準備が足りないことが多いですね。

 ――きっちり準備するには、時間のコントロール、マネジメントが大事ということでしょうか。

◆マネジメントの前にまず、自分がどういう野球人生を送りたいか、どういうプレーヤーでいたいかを考えることです。野球って技術を身につけようと思うと、練習も苦しいと思うんです。でもワイワイガヤガヤが楽しいのではなくて、自分で追究した技術をつかみ、発揮する、それこそが喜びであり、楽しさだと思うんです。半年後の試合、1年後の試合のために、自分にどんな練習が必要かを考える。その後の人生にも通用する考え方を持っていないと、優勝したら終わりで、その先に何もなくなってしまう。やはり、人生をデザインすることが重要で、それが日々の準備の根幹となるのではないでしょうか。

 

かわぐち・ともやす 1971年、和歌山市生まれ。和歌山県立桐蔭高から明治大を経て1994年、三菱自動車岡崎入り。内野手として95年日本選手権の4強入りに貢献した。コーチ、監督を経て、社業に専念。JABAのアスリート委員会副委員長で社会人日本代表の強化に携わり、昨年10月から監督。同12月のアジア選手権(台湾)でチームを優勝に導いた。妻と2女。