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トヨタからヤクルト 松本健吾が語る「都市対抗野球というかけがえのない場」社会人野球NOW vol.29
第95回都市対抗大会が19日から東京ドームで幕を開ける。一発勝負の大舞台での経験を糧に、成長を遂げる若手も多いこの大会。その一人が昨年、豊田市・トヨタ自動車の優勝に貢献した松本健吾投手(25)だ。プロ野球・ヤクルトに入団し、プロ初登板で2桁奪三振での無四球完封という史上初の快挙を成し遂げた松本投手に、「社会人野球」への思いを聞いた。【聞き手 毎日新聞社野球委員会・中村有花】
=インタビューで社会人野球への思いを語るプロ野球・ヤクルトの松本健吾投手
「社会人まで野球をやってきたからこそ、今の自分がある」
――今季は春季キャンプで1軍スタートでしたが、開幕から2軍調整が続きました。デビューまでの日々はどんな気持ちで過ごしていましたか。
◆松本投手 2軍スタートにはなってしまいましたが、そこで一喜一憂することなく、自分の課題と向き合い、収穫も見つけながら登板をしていく中で、徐々に状態も上がってきました。もちろん、社会人時代のままではダメだとは思います。でも、社会人時代のピッチングを評価されてプロに入ることができたのだから、まずは自分の武器、持ち味を変えずに、今までやってきたことを出す、自分らしく投げる、ということをすごく意識してやってきました。
――プロ初勝利のヒーローインタビューで「社会人まで経験できた結果、今の自分がある。全く遠回りだとは思ってない」という言葉が印象的でした。
◆そうですね、近道ではないかもしれないですけど、自分にとっては全く遠回りだとは思ってないですし、社会人までは野球をやってきたからこそ、今の自分があると、すごく感じています。
――大学卒業後、トヨタ自動車でプレーすることを選んだ理由は。
◆プロに行くためではなく、「野球がうまくなりたい」という思いが一番でした。その上で(将来)プロに行けたらいいなと考えていました。佐竹功年投手や川尻一旗投手コーチの存在も大きく、「投手として成長できる環境」を考えた時、トヨタが一番だなと感じました。
――佐竹投手は今年の都市対抗を最後に引退されます。佐竹さんから学んだことは?
◆(同じチームに在籍したのは)2年という短い間でしたが、都市対抗、日本選手権の2大大会に向けて何をするかだったり、自分との向き合い方、体への投資など、いろいろなことを学びました。1年目からロッカーも隣で、試合後には「こうだったよね」などと、たくさん話しかけてくださいました。
――最も覚えている言葉は。
◆僕が入社して、すぐだったと思うのですが、打ち込まれた時に、ストライクの取り方について話をしてもらいました。多分、佐竹さんは覚えていないと思うのですが、ぼそっと、「ファウルもストライクだからな」と言われたんです。それで、確かにそうだな、と思いました。当たり前のことですが、ストライクは見逃しと空振りだけではないですし、ファウルを取るというのもすごく大事なこと。今でも心に残っています。
――そういう意識を持っていると投球に幅が出る。
◆幅だったり、引き出しがすごく増えました。ファウルでも良い、ファウルを取れたらラッキーだな、みたいな心構えができました。
――1年目には「早く結果を出さなければ」という気持ちはありましたか。
◆焦りはなかったですが、やはり社会人野球に来たからには結果を出したい、うまくなりたい、という気持ちが一番でした。最初はなかなか結果が出なかったので、川尻コーチといろいろな練習に取り組みました。今も続けている、折れたバットを使ったシャドーピッチングもその一つです。1年目の都市対抗予選の時、なかなか結果が出ていない中で、今は投げられなくても都市対抗では絶対に投げるんだ、という気持ちでフォームを一から作り直しました。
=昨年の第94回都市対抗野球大会準決勝、東京都・JR東日本戦で力投する豊田市・トヨタ自動車時代の松本健吾投手
「人のためにやる野球は、後々、自分に返ってくる」
――「企業人」としての2年間はいかがでしたか。
◆僕は「高岡工場組立部」の配属でした。現場の方たちは心の底から応援してくれて、愛知県内の試合だけでなく、都市対抗や日本選手権にも足を運んでくださいました。野球が上手くなりたい、という気持ちはもちろんですが、支えてくれる方たちに喜んでもらいたい、応援してくれる人のために頑張りたい、という気持ちがすごく強くなりました。
――プロ入りする時には寂しかったのでは。
◆本当に寂しい気持ちでした。最後の出社の日に壮行会のような場を用意してくださったり、いろんな声を掛けてもらったりしました。やはり、そういう方たちがいてこそ、自分があるということを忘れてはいけないし、これからもずっと応援してもらうためにも、野球以前の姿勢だったり、社会人として何をすべきかということを忘れずにやっていこうと思います。
――プロ初勝利の時にも連絡はありましたか?
◆たくさん連絡も来ましたし、工場内で新聞を貼ってくださっていたり、社内の広報メールのようなもので流してくださったりしたようです。すごく喜んでくださいました。
――社会人野球は自治体の支えも欠かせないですね。
◆都市対抗の前には豊田市長さんも来てJR豊田駅前で壮行会を開いてくださるなど、市を挙げて応援してくれています。「人のためにやる野球は、後々、自分に返ってくる」というのが、いろんなカテゴリーのアマチュア野球を経験して気づいたことです。それが自分にとっては1番大事なことで、社会人野球をやって良かったなとすごく感じています。
――予選のプレッシャーをどう乗り越えていたのか。
◆もちろん、負けたら終わりという気持ちはありましたが、まずは思い切って行くことが大事だなと感じていました。そういう重みはベテランの方たちがより感じていることだと思いますし、1、2年目はある意味、そういうのを背負うものではないというか、まずはどんどん行くべきだなと感じていたので。僕はそこまでプレッシャーを感じずに自分らしく投げるだけだなと思っていました。ただ、一発勝負になると1試合に対する集中力というか、絶対この試合、やってやるぞ、という気概は1試合1試合出てくるものなので、それはプロ野球で戦う今も、すごく生きています。
――トヨタ自動車は連覇を掛けて開幕戦から登場します。
◆エールを送るような大それた立場ではないですが、普段から、都市対抗で勝つためにやっていることたがくさんあると思うので、それを思う存分、発揮してほしいです。そうすれば、必ずチームの目標でもある3連覇に向けて、まずは2連覇を必ず達成できると思います。
まつもと・けんご 東京・東海大菅生高時代は3年夏の西東京大会決勝で清宮幸太郎選手(日本ハム)擁する早実高を破り、甲子園大会では4強入り。亜大を経て、トヨタ自動車に入団。入社1年目の2022年秋の日本選手権2回戦のパナソニック戦で1安打完封劇を演じた。23年の第94回都市対抗では2回戦と準決勝でリリーフとして登板し無失点。エース・嘉陽宗一郎、Honda鈴鹿から補強の森田駿哉(現巨人)の両投手とともに鉄壁の投手陣を築き、優勝に貢献し、大会の優秀選手にも選ばれた。同年秋の新人選手選択(ドラフト)会議でヤクルトから2位指名を受け、プロ入り。5月15日の広島戦(松山)の1軍デビュー戦で史上30人目のプロ初登板初完封勝利を達成。被安打3、10奪三振、無四球で、プロ1試合目で2桁奪三振での無四球完封は史上初の快挙だった。