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松永怜一さんが死去 ロサンゼルス五輪金メダル監督 社会人Express.vol 15

2007年1月、野球殿堂入りして笑顔を見せる松永さん.jpg (490 KB) 

 アマチュア球界のご意見番で、1984年ロサンゼルスオリンピック野球で金メダル監督の松永怜一さんが512日、老衰のため亡くなりました。90歳でした。

 北九州市出身。母校・法政大の監督時代は「三羽がらす」と呼ばれた田淵幸一さん(元プロ野球・西武)、山本浩二(本名浩司)さん(同広島)、富田勝さん(同中日)や、通算48勝のエース・山中正竹さん(現全日本野球協会会長)らを率いて、東京六大学リーグで黄金時代を築きました。

その後、社会人・住友金属監督としても日本選手権を第4回(77年)、第6回(79年)と2度制するなど手腕を発揮。そして公開競技として野球が五輪に復帰したロサンゼルスオリンピックでは本田技研(現Honda)のエース・伊東昭光さん(元プロ野球ヤクルト)、日本楽器(現ヤマハ)の強打者・熊野輝光さん(同巨人)らアマ球界のスター選手たちを率いて参加し、決勝で野球の母国・米国を破って見事に金メダルに導きました。

1979年11月、社会人野球日本選手権で優勝し、松永監督を胴上げする住友金属の選手たち.jpg (1.12 MB) 1979年の日本選手権で住友金属が優勝、胴上げされる松永監督

 ユニホームを脱いでからも野球界の発展に力を尽くしました。日本野球連盟では1985年~91年に理事、91年~2003年に常任理事、03年~16年は参与を務め、現在まで続くJABAの「指導者研修会」も松永さんの発案であったといわれます。また、日本オリンピック委員会(JOC)でも選手強化委員長などを歴任し、青少年の育成から国際競技力の向上まで幅広く野球発展に貢献しました。その功績が評価され、07年には特別表彰で野球殿堂入りしました。

 法政大、住友金属で松永さんの指導を受けた山中さんは、毎日新聞社の取材に対し「とにもかくにも厳しい人だったが、野球を愛し、野球にかける情熱はナンバーワン。天国に行ってもノックバットを振っているはず」と恩師を悼みました。

 謹んでお悔やみ申し上げます。

※選手のプロ野球経歴は最終在籍球団です