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クラブ、企業チームを経て成長 橋戸賞受賞の王子・九谷瑠投手「決勝戦の景色、忘れることはない」 社会人野球NOW vol.93

昨年の都市対抗野球大会で春日井市・王子の優勝に貢献し、橋戸賞を獲得した九谷瑠投手(26)。高校、大学時代は目立つ存在ではありませんでしたが、クラブチーム、企業チームでの経験を経て、昨秋のプロ野球新人選手選択(ドラフト)会議で東北楽天ゴールデンイーグルスから6位指名を受け、プロ野球選手となる道を切り開きました。夢を実現し、新たな舞台に向かう九谷投手にこれまでの野球との向き合い方、社会人野球での経験などについて話を聞きました。【聞き手 毎日新聞社野球委員会・中村有花】

=第96回都市対抗野球の決勝、岡崎市(三菱自動車岡崎)戦で登板し、優勝を決めて喜ぶ九谷投手
――昨年12月に楽天の入団記者会見がありました。
◆仙台に降り立ったのは人生で初めてで、めちゃくちゃ寒かったです。でも、温かい方ばかりで、ファンの皆さの熱量もひしひしと伝わってきて、入団がとても楽しみになりました。会見は緊張しましたが、昔からテレビで見ていたユニフォームを着ることができ、嬉しい気持ちでいっぱいでした。
――野球と出合ったきっかけについて教えてください。
◆小さい頃はサッカーなどいろいろなスポーツをしていました。野球は、小学4年の頃、友だちと遊びの中で楽しむようになりました。中学ではソフトボール部に入り、高校から野球部に入部しました。甲子園に行きたいという気持ちももちろんありましたが、やはりいいグラウンドで野球をやるのが夢でした。
――その当時は野球のどのようなところに魅力を感じていましたか。
◆野球はとにかく「楽しい」。走るメニューでさえ、うまくなれると思えばつらくはなかったです。もちろん、「勝つのが一番楽しい」というのは大前提ですが、個人としては、練習してきたことが試合でできたり、球速が上がったり。そういうところが楽しいなと思いながら練習に励んでいました。

=第47回全日本クラブ野球選手権決勝のショウワコーポレーション戦で力投する矢場とんブースターズの先発・九谷投手
――高校は滋賀・堅田高、大学は近畿学生リーグ2部の大阪大谷大でプレーしました。卒業後に名古屋市を本拠地とするクラブチーム「矢場とんブースターズ」に進んだ経緯について教えてください。
◆高校時代は直球の最速は130キロ弱で、投手専任ではなく、他のポジションも兼務していました。大学の時は、プロを目指すというよりも、卒業後もどこかで野球を続けられたらいい、野球を引退した後もセカンドキャリアとして野球に携わる仕事に就きたいという思いがありました。ただ、当時は企業チームに行けるほどの実力もなかったですし、軟式野球の練習会に参加したこともありました。そんな中で縁があったのが「矢場とんブースターズ」です。その頃はそんなに球が速いわけでもなく、足が速いぐらいしか特徴がなかったと思うのですが、練習参加してバッティングピッチャーを務めた時にいい感じに抑えることができました。多分、そこでいい印象を持っていただけたのだと思います。
――「矢場とんブースターズ」は、みそカツ専門店「矢場とん」の運営するクラブチームですね。
◆いまでは「わらじとんかつ」が好物になりましたが、滋賀県出身なので、実は入社するまではお店に行ったことがありませんでした。入社後はホールスタッフで働いていたので、お客さんと会話することも多く、野球部の存在を知らなくても「体大きいね」と声をかけられて「野球やってます」と答えると、「頑張ってね」と励ましてもらうこともありました。
――仕事と野球の両立は大変ではなかったですか。
◆入社したときには「ここで終わらず、レベルアップする」と誓いましたが、実際にスタートすると仕事がとてもしんどくて、1年で辞めようと思っていました。転機になったのは2年目です。外部コーチとして指導に来てくれるようになったプロ野球中日元投手の鹿島忠さんにアドバイスをいただき、野球への取り組み方が変わりました。走り込みやトレーニングも増やし、球速が上がり、3年目には球速が150キロに伸びました。仕事にも慣れてきて、野球と仕事を両立する体力がつき、野球に集中できるようになったことも大きかったですね。
――2年目の2023年には全日本クラブ野球選手権で準優勝の成績も収めました。
◆自分が成長できた要因には、同級生の存在も大きかったと思います。練習後に一緒にトレーニングをしたり、寮でバットを振ったりと、切磋琢磨することができました。準優勝はチームメートと一緒に成長した成果のたまものです。「やればできる」というところを見せることができたと思います。
――矢場とんでの一番の思い出はどんなことですか?
◆クラブ選手権での結果はもちろんですが、普段、なかなか遠征に行くこともないので、クラブ選手権でみんなで新潟に行き、みんなでおいしいご飯を食べる。そういうのが楽しかったです。
――その後、2024年オフには王子に移籍が決まりました。当時の心境はいかがでしたか。
◆その時のことは鮮明に覚えています。仕事が終わり、携帯電話を見るとたくさんの着信履歴が残っていました。折り返すと王子の方からの電話でした。矢場とんの関係者の方にはステップアップすることをすごく喜んでいただき、後押しをしていただきました。
――都市対抗では150キロ超の速球に多彩な変化球を織り交ぜ、2試合の先発・救援とフル回転でチームを支えました。
◆初戦はタイブレークの延長十回に逆転する劇的な勝ち方で、そこで勝つ喜びを再認識できました。1球で展開も変わりますし、勝敗も変わる。その大切さもわかりました。一つ一つ勝つにつれて、お客さんも増えてきて、やはり僕たちは勝つことが仕事だと改めて感じましたし、何より勝った時の嬉しさというのは何物にも変えられないと思いました。
――決勝では六回から救援して無失点に抑え、マウンド上で優勝の歓喜を味わいました。
◆緊張というのは全くなく、そういうところで投げられる楽しさのほうが大きかったです。決勝戦のマウンドから見る景色というのは、忘れることはないですね。そういう舞台でプレーさせてもらえたことに感謝しかないです。
=都市対抗のヒーローインタビューで、キッズアナウンサーから質問を受ける九谷投手
――準々決勝の試合後のヒーローインタビューは、キッズアナウンサーが担当し、矢場とん時代の仕事のことを聞かれて「お客さんがたくさん来て、ホールがぐちゃぐちゃになったのが大変でした!」と答えていました。
◆どんな質問来るかわからないので、結構、緊張しました。でも、かわいかったし、楽しかったです。そういう質問がないと、矢場とんの宣伝もできなかったですしね。スタンドとコミュニケーションを取ることができて、自分のことも知ってもらうことができたのはとても良かったですね。
――1年間の在籍でしたが、王子で学んだことはどんなことですか。
◆王子野球部は「厳しい」と言われるのですが、それは規律などもしっかりしているからだと思います。それまでの僕に欠けていたところが王子にはあり、学ぶことがたくさんありました。練習に取り組む姿勢一つとっても、ベテランの選手は全く違いますし、選手一人一人が自分の仕事を明確にやっていました。そういうところをプロに入っても忘れずにやっていきたいと思っています。
――クラブチームと企業チームの両方を経験し、それぞれどのような違いがあると感じていますか。
◆クラブチームは比較的若い選手が多く、社会人はベテラン・中堅・若手がそろっていると思います。ベテランの選手たちからは勝利への執念を感じました。そういうベテランの選手のおかげで、僕は伸び伸びと、何も悩まずプレーさせてもらえたと思っています。また、昨年の都市対抗は東海第6代表で予選の最後の枠を勝ち取っての出場でしたが、負けが続いていてもチームが下を向かずにやっているのはすごいと思いました。1球の重みも感じましたし、これからもそういう部分はずっと見習っていきたいです。
――今後はどんな選手になりたいですか。
◆僕が王子で教えていただいた近藤均・選手兼任コーチは、どんな場面でも投げる投手でした。僕はそういう方に指導を受けてきました。僕も首脳陣が「困ったときには『九谷』だ」と言ってもらえるようにやっていきたいです。
くたに・りゅう
1999年11月5日生まれ。滋賀県出身。滋賀・堅田高で本格的に野球を始め、大阪大谷大卒業後に「矢場とん」に入社、2025年に王子に移籍した。25年度は公式戦11試合に登板し、5勝1敗、防御率2・42。177センチ、80キロ。右投げ左打ち。
※次回の社会人野球NOWは1月20日公開予定です。