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場内アナウンスこそ、生きがい 社会人野球Express vol.10

JABA岡山大会のマスカットスタジアムで場内アナウンスを担当した岡田麻里さん2.JPG (237 KB)

その目から色彩は失われようとも

岡山大会で場内アナウンスを担当した岡田麻里さん

 ホンダ熊本の初優勝で幕を閉じたJABA岡山大会(4月15~19日)。マスカットスタジアム(岡山県倉敷市)で行われた6試合で場内アナウンスを担当し、伸びやかな美声で大会を彩ったのが岡田麻里さん(62)だ。「ウグイス」歴は40年以上になるが、2013年に糖尿病が原因の網膜症を患い、その視界は「グレー一色」となっている。白球の行方を追えず、くじけそうになった時もあるが、マイクに向かい続けている。
 父の雅之さん(88)が岡山東高(現岡山東商高)野球部OBで、幼いころからベースボールが身近にあった。小学6年だった1971年の夏。全国高校野球選手権で4強入りした岡山東商高のエース、ケネス・ライト(元阪急=現オリックス)の力投にひかれた。「東商のマネジャーになる」と、心を決めた。
 しかし、岡山東商高に進学すると「女子マネ、お断り」の時代。ソフトボールに打ち込んだ後、岡山商科大で念願の野球部マネジャーとなった。中国地区大学野球連盟の運営に携わる中で、場内放送も担当。「最初は失敗もあった」と笑う。選手の出身高校の沼南「しょうなん」(広島県福山市)を、思わず「ぬまみなみ」と読んでしまったという。
 その後は選手名や校名の読みなどは事前に確認を欠かさず、自前の放送マニュアルも作った。手際の良さが評判となり、中国地区の社会人野球にも関わるようになった。大学を卒業して父が経営する岡山市内の理髪器具卸売会社に就職した後も、大学連盟の仕事は続けた。専務理事の職に就いて20年以上になる。
 キャリアの中で思い出深いのは、95年に倉敷市で開催されたアトランタ五輪の野球アジア地区予選だという。中国、韓国、台湾などの選手名の読み方や発音は、岡山商科大の留学生に学んだ。松中信彦(元ソフトバンク)、井口忠仁(現資仁=ロッテ監督)、福留孝介(中日)ら後にプロ野球や米大リーグで活躍する選手を擁した日本代表は、五輪への出場切符をつかんだ。マスカットスタジアムで行われた決勝戦でアナウンスを担当した岡田さんも「日本が勝った瞬間、放送していて涙がこぼれた」
 目に不調を覚えたのは、9年前の冬だった。取引先の理髪店の店頭にある3色のサインポールが識別できない。見える世界は「灰色」に変わり、字も読みづらくなった。場内放送は、両チームの先発メンバー、控え選手を正確に把握する必要がある。「アナウンスはできない」と悲嘆したこともあった。
 ただ、培ってきた経験で、選手交代などグラウンドの「気配」は、誰よりも感じる。「やれば、できる」。周囲の助けも借りながら、メンバー表を自前の大きな紙にマジックで書き直し、いまもマイクに向かう。「1番、センター……」。これが、生きがいだ。

【毎日新聞岡山支局・堤浩一郎】